えにし-名前の由来とは
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こんにちは!クーミンです。毎度 えにしをご利用いただきありがとうございます。お客さんから、えにしの名前の由来を聞かれることがよくあるので、店長に聞いてみました。店長の考えた「えにし」の名前の由来から少し話を展開させて、開業した頃から今までの様子を記事にしてみました!

店長は、若い頃、東京都の渋谷区に住んでいました。ひょんな出来事から飲食店経営者と知り合い、とんとん拍子に仕事をする運びとなり素敵なレストランで修行を始めました。
オーナーがハワイ大好き!な人でしたので、店内のインテリアはハワイをイメージしたトロピカルでユニークな素敵なお店でした。
食事はイタリアンと&炭火で焼く美味しい焼き鳥が食べられるブースに分かれていて、
ダブルで美味しい楽しいお店でした。

そこで修業をスタートした当初から、店長は「将来は、絶対に自分の店を持つ!」という勢いで、目からギラギラと炎が出る漫画の様な面持ちで日々、修業に明け暮れました。

炭火焼きの炭の扱い方や焼き方は、そのお店の先輩で、腕の良い職人気質の人から丁寧に教えてもらうことができました。その後は、銀座の人気店や、大手企業の コンセプシャルなイタリアンレストラン等で修行を重ね、現在のお店を持つに至るまで、たくさんの人との出会いがありました。

ユニーク人、個性の強い人、変わった人、馴染めない人、コミュニケーション苦手な人、シャイな人、ぶっ飛んでる人、クールな大人っぽい人、かっこいい人、可愛い人etc・・・・。人との出会いによって、様々な出来事を経験し、沢山学び、辛かったことも山ほどあったし、くそ〜乗り越えなければ!と思わせてくれる人や、刺激をくれる人、多種多様なキャラを持つ人達との関わりの中で 時には夜中じゅう飲んで語り明かした日もあったり、カラオケにはまって、仲間と辛い出来事を発散したりしながら、腕を磨いてきました。

[炭やき亭 えにし] 名前の由来を店長に聞てみた

そんな人達との出会いがあったからこそ、今の自分がある。そう思ったら、人との縁って素晴らしいなぁ、これから自分が作り上げていく場でも、沢山の人との縁によって未来が開けていくと良いなぁ。という思いで「縁」という名前がピン〜!と来たという事です。「縁」にしよう!だけど漢字だと少し硬いイメージなので「えにし」とひらがなを使おうということになって、「炭やき亭 えにし」という名前に命名しました。

「えにし」の書体は、店長が大好きな「相田みつお」の作品「つまづいたって いいじゃないか にんげんだもの」からイメージしたものです。その独特の書体が気に入って、「あんな感じの書体にしたいんだけどなぁ」という希望を店長から依頼があり、デザイナー(衣装)だったクーミンは、弟のお店の開店祝いに、名刺をデザインしたのでした。

上の画像にあるのが、「えにし」の名刺のベースのデザインです。

それから、開業当初から、「えにし」を応援してくれたのが母でした。母は父の経営する縫製工場で、長年 腕の良いパートナーとして仕事をしてきました。

陰の立役者であった母のこと

思い返せば、あれほど手先の器用な人は、未だかつて見たことが無いくらい、器用な人でした。「えにし」の のれんや、エプロンや、座布団カバーやテーブルクロス等、作ってくれて、果敢に貢献してくれました。

そして、お店の空間を、いつも素敵な生花で、華やかさを演出し、お客さんを持てなす気持ちを、人一倍大切にしていました。今となっては懐かしく思い出します。

いつも飾られていた生花、当たり前のように、場を華やかに飾ってくれていたのですが、母が倒れて動けなくなって、母の生けた生花でおもてなしをすることができなくなってしまいました。当たり前が、当たり前でなくなることがありますが、そうなって初めて、いつもえにしの空間を素敵に生花でかざってくれていた母に 感謝の気持ちでいっぱいになりました。

それから、フクロウには目がない母でした。皆の幸せを願って「苦労がないように!」と「ふくろう」を飾っていました。母の人生は苦労が多く人の痛みに寄り添う様に生きていた人でした。

花とフクロウ

2017年に小脳出血で倒れ、重度の後遺症が残りでその2年後この世を去りました。

母の壮絶な最後の2年間を兄弟3人で協力してサポートしました。動けない話せない食べられない状態でも生きぬく姿を見せてくれました。どんなに辛いことが起こっても、母からの「最後まで生き抜け!」というメッセージが心に刻まれました。

介護されている方が多くいらっしゃると思います。心からエールを送りたいと思います。それぞれの人生の中で、勇気をもらえる出来事ってありますよね。これからの人もいるかもしれませんね。

母を覚えていてくださってるお客さんもいるでしょうか。全ての人へ愛を捧げる優しさと強さを持った人でした。

「みんながホットできる場を、幸せになれる場を、作ってさしあげましょうよ!」と言っている母の声が聞こえてくるようです。

人生は戦いの日々ですよね。日々 その人らしく戦えるように
美味しくて、楽しくて 幸せの場づくりをしていこうとそんな気持ちで、えにしは 日々頑張っています。

ありし日の母

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そうなんですよ。どんなに症状が辛くても、母の最後の姿を思い出すと、弱音をはけない訳ですよ。かなり励まされてます。居なくなっても励ましてくれる。凄い存在です。そんなパワーを皆さんにもお裾分けしたいです。


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店長も体調不良をなんとかしのぎながら、がんばっています。奇跡を起こしてる訳ですから驚きです。えにしには奇跡を起こすパワーがあるのかもしれませんね。母の生花は本当に華やかでした。今も母が住んでいた家の庭にたくさんの花が咲きます。今度、クーミンが母の真似して生け花にも挑戦してみますね。どこまでできるか、行けるところまで頑張りましょうね。応援しています。

母の生花